クオリティ

能登半島地震の被災をされた方には心よりお見舞い申し上げます。

一月のブログは、地震以前に書かれたものであり、削除するかは迷いましたが、

地震以前ということで、ご了承願いたいです。

 

昨日、今日と忙しかったのですが、その間にも考える時間があり、

何か物を買おうかなとか、どういったことをすれば満足するか、

などと考えてました。

 

断捨離なのか、それとも別のことなのか、満足するとはどういうことなのか、

それらを突き詰めて考えていました。関連するかどうか、食べ物のことに関する

とある本を本屋で買い、読んでいるうちに、そうか、生活のクオリティのことが

自分には足りなかったのだな、とふと自分自身で納得しました。

 

生活のクオリティ。色んな物のクオリティ。クオリティ=質。

国際不動産のホームページもクオリティが高いとは言えません。

ただ、連絡先を教えてくれとか、こういう物件を扱っていますよとか

存在するのを証明するだけにあるようにも思えます。

 

クオリティとは、値段が高ければ高いほど一般的に高いだろうと

思われます。その考え方には同意します。

しかし、私個人としては値段が安いものにクオリティを求めることはありません。

そして、そのクオリティに不満を持つことは少ないです。

それだけ販売されている物には価値があるということですね。

 

生活のクオリティについて考えていると、そんなにクオリティが高い生活を

しているようには感じていません。そのことについて考えていなかった

というのが正しいでしょう。

 

ただ、その人自身がクオリティが高い生活をしていれば、

金銭が高額であるかどうかはまた、違う話のような気もするのです。

 

私個人はあまり社交的ではないですから、一人でじっくり本を読んだり、

ボーと考える方が生活のクオリティも高いのかなと思います。

 

クオリティの高い生活をするというのは、個人それぞれですが、

そう思い直してみると、今の生活も悪くないような気がしているので、

それはそれで幸福の一つだということでしょう。

 

本屋さんが近くにあり、インターネットで知識を得られるというのも、

私にとっては、生活のクオリティを高める一つのものですね。

 

不動産屋が、お客様にとって、クオリティに高い生活をしていただくのも、

仕事の一部と考えていますから、お客様も自分にとって最もクオリティの

高い生活とは何かというのを考えていただくのも仕事かなとふと思いました。

 

そう考えると、各々が自分自身にとっての生活のクオリティを求めるということは、

(他者に求めるという意味ではありません、また他者の幸福を阻害する意味ではないです)

競争にならないのじゃないかと思います。

 

今年はより、クオリティの高い生活を求めて頑張っていこうかなと思います。