昭和とモテてナンボの免罪符

秋分の日の近き、この頃、いかがお過ごしでしょうか。予報によると、10月に入っても、厳しい暑さが続くとのことで、うんざりしますね。

 

題名に「昭和とモテてナンボの免罪符」と書きましたが、当社、国際ビル、スナック店舗も扱っております。お気軽にお問い合わせください。スナックを開業したい方は是非とも、ご連絡ください。

 

昨今、ジェンダーの問題というのがよく取り上げられていますね。私も、大学の授業でジェンダー教育は受けておりまして(とは言っても古いのですが)、現在では、ハラスメントになるような言動は慎まなければならないというのが、世の風潮ですね。

 

男女平等という理想については異議なく、平等が実現されるように本心から願っています。ただ、一つの言動だけを、その人の持つ意識だというような極端な論理は、その人の人格を全否定するだけの力を持っているか、ということには疑問を持ちます。

 

一つの言動だけを取り出して、こういう人格だ!というのは、短絡的で、それこそが、人格否定に繋がり、本質的な平等からは遠かっているような気がします。

 

こういう前提で、話を進めるのですが、モテてナンボの免罪符、これはあると思うのです。

私自身は全くモテてませんが、モテている人は、昭和の時代から、何か、免罪符らしきものをもっており、これは令和の時代に突入してからも変わっていないのではないか、ということです。

 

非常に悔しいのですが、モテている人は免罪符を持っている。

 

スナックやキャバクラ、クラブ、どこに行っても、モテている人は、どんな言動をしようが、どんな行動をしようが、周りが許してしまう、その上、配偶者まで許してしまう、ということになります。

 

それは、モテるということが、周りから認められている、存在を認められているということに他なりません。

 

それを、どうやって確かめるかというのが問題です。それは、ネット空間だけで完結できることでしょうか。私が考えるには、現実に、夜の街に、友人と、或いは、先輩、後輩、仕事の知り合いなどと夜の街に繰り出して確かめる他ないのです。

 

そうしたことをしてどうなるのか、という疑問がおありかと思いますが、

 

メリットは、

1、そうすることによって、他人から見られている自分という一つの視点ができます。

2、昭和の時代から通底する仕事術の一つであると考えます。評判になります。

3、モテているということが、明日への活力となります。

 

しかし、現実問題では、金銭が続かないということがあるでしょう。私もそうです。

 

ただ、今の時代の活気を取り戻すには、誰かが率先して戦わなければならない。そういった心構えから思うに、金銭のある人は、心から、もっと夜の街を楽しんでもらいたいと思うのです。

 

神戸の夜の街の発展を願う一人として、文章を記しました。

どうか、よろしくお願いいたします。